埼玉150年の歩み 埼玉県誕生から今日に至るまでを貴重なアーカイブ写真とともに振り返ります。産声を上げた150年前から大きく変わった街並みもあれば、150年前の面影を残す風景も…。埼玉150年の歩みをぜひご覧ください。埼玉150年の歩み 埼玉県誕生から今日に至るまでを貴重なアーカイブ写真とともに振り返ります。産声を上げた150年前から大きく変わった街並みもあれば、150年前の面影を残す風景も…。埼玉150年の歩みをぜひご覧ください。

1871明治4年
明治天皇が廃藩置県の詔書を下し、3府302県が誕生。
1871明治4年
新政府の太政官布告により、従来の県を廃し、新たに1府10県を設置。埼玉県(県庁は岩槻とし、埼玉郡と足立郡・葛飾郡の一部)と入間県(県庁は川越とし、入間、高麗、新座、比企、横見、男衾、大里、榛沢、幡羅、秩父、児玉、那珂、賀美の各郡と多摩郡の一部)を設置。

新政府の太政官布告により、従来の県を廃し、新たに1府10県を設置。埼玉県(県庁は岩槻とし、埼玉郡と足立郡・葛飾郡の一部)と入間県(県庁は川越とし、入間、高麗、新座、比企、横見、男衾、大里、榛沢、幡羅、秩父、児玉、那珂、賀美の各郡と多摩郡の一部)を設置。【1】

埼玉県と入間県(明治4年11月)、埼玉県と熊谷県(明治6年6月)、埼玉県と(明治9年8月)
同年
交通の便などの理由で、浦和の旧浦和県庁舎を庁舎とし、埼玉県庁を設置(庶務、聴訟、租税、出納の4課)。
1872明治5年
新橋駅-横浜駅間にて日本最初の鉄道が開通。
1873明治6年
入間県と群馬県を廃し、熊谷を県庁所在地とする熊谷県を新設。
1875明治8年
千葉県の一部(金杉村など43か村)を埼玉県に編入。
1876明治9年
熊谷県を廃し、その旧入間県分を埼玉県に合併。ほぼ現在の県域が定まる。人口889,000人余。

熊谷県を廃し、その旧入間県分を埼玉県に合併。
ほぼ現在の県域が定まる。人口889,000人余。【5】

1876明治9年
福澤諭吉が『学問のすゝめ』の最終刊・第17篇を発行。
1879明治12年
府県会規則に基づき初の通常県会(現在の県議会)開催。
1882明治15年
日本銀行開業。
1883明治16年
上野~熊谷間に日本鉄道会社線開業。年内には、群馬県新町まで開業し、本県を縦貫(現在のJR高崎線)。

上野~熊谷間に日本鉄道会社線開業。年内には、群馬県新町まで開業し、本県を縦貫(現在のJR高崎線)。【7】

1884明治17年
凶作と不景気のなか、負債の延納などを求めて農民が蜂起した秩父事件が勃発。
1886明治19年
県が発した法令などが掲載された「埼玉県報」の創刊。
1887明治20年
考古学者・坪井正五郎、吉見百穴の発掘調査開始。

考古学者・坪井正五郎、吉見百穴の発掘調査開始。【10】

同年
渋沢栄一ら、日本煉瓦製造会社を設立。
1889年に榛沢郡大寄村(現深谷市)に工場完成。
1889明治22年
大日本帝国憲法(明治憲法)が発布。
1889明治22年
1888年公布の町村制に基づき、江戸時代以来の町村の大合併が行われる。
1,909町村が409町村になる(「明治の大合併」)。
1890明治23年
浦和町(現さいたま市)を県庁所在地とする勅令が公布。

浦和町(現さいたま市)を県庁所在地とする勅令が公布。【13】

1893明治26年
川越町(現川越市)で大火。その後蔵造りの街並みを形成。

川越町(現川越市)で大火。その後蔵造りの街並みを形成。【14】

1894明治27年
日清戦争勃発。
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【タイトル】9枚とも『埼玉県史料叢書21 フィルムのなかの埼玉』より 【1】 国立公文書館ウェブサイトより 【1】 左下の印鑑の写真は埼玉県立図書館所蔵資料 【5】埼玉県行政文書 明883-4「熊谷県管轄武蔵国管轄ニ関スル達」 【7・10・13・14】埼玉県立図書館所蔵資料 ※【14右】は明治14年の写真