

- 1871明治4年
- 明治天皇が廃藩置県の詔書を下し、3府302県が誕生。
- 1871明治4年
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新政府の太政官布告により、従来の県を廃し、新たに1府10県を設置。埼玉県(県庁は岩槻とし、埼玉郡と足立郡・葛飾郡の一部)と入間県(県庁は川越とし、入間、高麗、新座、比企、横見、男衾、大里、榛沢、幡羅、秩父、児玉、那珂、賀美の各郡と多摩郡の一部)を設置。【1】
- 同年
- 交通の便などの理由で、浦和の旧浦和県庁舎を庁舎とし、埼玉県庁を設置(庶務、聴訟、租税、出納の4課)。
- 1872明治5年
- 新橋駅-横浜駅間にて日本最初の鉄道が開通。
- 1873明治6年
- 入間県と群馬県を廃し、熊谷を県庁所在地とする熊谷県を新設。
- 1875明治8年
- 千葉県の一部(金杉村など43か村)を埼玉県に編入。
- 1876明治9年
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熊谷県を廃し、その旧入間県分を埼玉県に合併。
ほぼ現在の県域が定まる。人口889,000人余。【5】
- 1876明治9年
- 福澤諭吉が『学問のすゝめ』の最終刊・第17篇を発行。
- 1879明治12年
- 府県会規則に基づき初の通常県会(現在の県議会)開催。
- 1882明治15年
- 日本銀行開業。
- 1883明治16年
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上野~熊谷間に日本鉄道会社線開業。年内には、群馬県新町まで開業し、本県を縦貫(現在のJR高崎線)。【7】
- 1884明治17年
- 凶作と不景気のなか、負債の延納などを求めて農民が蜂起した秩父事件が勃発。
- 1886明治19年
- 県が発した法令などが掲載された「埼玉県報」の創刊。
- 1887明治20年
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考古学者・坪井正五郎、吉見百穴の発掘調査開始。【10】
- 同年
- 渋沢栄一ら、日本煉瓦製造会社を設立。
1889年に榛沢郡大寄村(現深谷市)に工場完成。
- 1889明治22年
- 大日本帝国憲法(明治憲法)が発布。
- 1889明治22年
- 1888年公布の町村制に基づき、江戸時代以来の町村の大合併が行われる。
1,909町村が409町村になる(「明治の大合併」)。
- 1890明治23年
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浦和町(現さいたま市)を県庁所在地とする勅令が公布。【13】
- 1893明治26年
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川越町(現川越市)で大火。その後蔵造りの街並みを形成。【14】
- 1894明治27年
- 日清戦争勃発。
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【タイトル】9枚とも『埼玉県史料叢書21 フィルムのなかの埼玉』より 【1】 国立公文書館ウェブサイトより 【1】 左下の印鑑の写真は埼玉県立図書館所蔵資料 【5】埼玉県行政文書 明883-4「熊谷県管轄武蔵国管轄ニ関スル達」 【7・10・13・14】埼玉県立図書館所蔵資料 ※【14右】は明治14年の写真